ひらめきめも
- Date
- 2008-09-24 (水)
- Category
- スケッチ
たぶんtwitterが連れてきたこと。閃きメモ。
いまはノートに書くことにしているので、ニューエイジ的なゆるい連鎖がない。ジャンプもないがやきもきもないのでこれはこれでガラパゴスな感じがいい。
twitterがもたらしたことは他にもある。
ネット上に何かを書くことをより身近にした、ということ。
ということを発端とした、頭に浮かんだメモ。
ネットを身近なものにしたということに関しては、自分にとってそれは人より緊張感のあるものだった(のではないか)、という個人差がある。
ネット上に何かを残すということの緊張感は、個人や世代によってずいぶん違うので、それらの感覚がある程度整った時、初めて「ネット上」と言った時のイメージは全体で近いものになる(日本のケータイ文化の行く末によってもその時間は変わる)。
「人の名前」は、ケータイや、Eメールが発達したことによってその意味を強めた。
相手の登録情報の中に肖像写真まで入っているとしたら話は変わるが※、
相手から、電話がかかってきた、Eメールがきた、という時、その名前の漢字からくる意味やイメージ
がその人の顔の一部としてそれなりに大きな意味を持つようになった。
つまりこの事実を当たり前に体感できる世代が子どもを産み、名前を付ける時、名前の意味を決める要素は少なからず変わる。
名前を表わす「文字」とは何か。また、数字とは何か。
数字とは事実の代理の記号。
文字とは、ひらがなやカタカナ、アルファベットなら、その連続によって言葉を表わす記号。
漢字なら、文字そのものが事実の代理を表わす。つまり、漢字とは文字の中でもわりと数字に近いもの。
ちなみにその文字を表わす言葉には、数字のような事実の代理的な意味の文字の他に、「思う」や、「感じた」、などといった、事実そのものというよりも、自分がそう思ったという事実を読む相手に伝えることを目的としたものもある(自分はそう思っていますよ、そう感じたんですよ、ということを伝えたいという意味)。
※相手の写真をケータイ端末の登録情報の中に入れるというのは、端末を交換する時間の流れとその手間を考えると、あまり現実的ではない。
しかし、ネット上という感覚が全体で近いものになった頃、もしかしたら、毎朝自宅を出る前に自分をケータイで撮影して、瞬時にそれが自分を登録している人間のケータイに送られ、電話をかけようとしたその端末には相手の最新の肖像画像が表示される。
そんな時代がくるのかな。
そうしたら、自分を撮影する時の背景のシートのようなものを開発したり(さわやかな香り付き)、顔以外の情報を模様で埋めるような(ようするに背景シートのデジタル版)ものを作ったり、毎日撮るのは微妙という人向けのイメージ画像(か、3秒くらいのモーションロゴやイメージ)でも作るとしよう。
肖像画像を利用した出勤確認システムがどこかの会社で採用されて、その社員がそのシステムの穴をついたズルをしたりしそう。
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- ���������� �������:2009-09-19 (土) 03:34
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