2008年05月
Entries Title
近代魔法
- Date
- 2008-05-28 (水)
- Category
- 日記
【分類】ミニマル魔法
【魔法名】Two Pages(×2倍速)
【消費マナコスト】大
【使役方法】ヘッドフォン着用。通過儀礼の03:15以降は目を閉じて自ら聴く。
【効果】別のレルムへ転送。
Philip Glass - Two Pages (for Steve Reich), 1968
【裏技】いくつかのブラウザを開き、数秒ずらして順番に再生する。
※後日、実際のTwo Pagesを入手し聞いてみたのだが早回しのこれとは全くの別物だった。
Shadow Of The Colossus
- Date
- 2008-05-24 (土)
- Category
- 日記
並木道でマナをアブソーブ
- Date
- 2008-05-21 (水)
- Category
- 日記
ずっと人には言わないでいた話です。
並木道を自転車で走ると、ときどき細かい雨粒みたいなものが降ってきます。
最初は雨かエアコンの室外機から何かがはねてきているのかと思ったけど、それらしきものは見当たらなかったし別の並木道を走っても降ってきます。つまりたぶん、樹木から何かが放出されているんだと思う訳です。
特別なことのようでちょっと嬉しかったので、これについてはあまり調べたりしてません。ファンタジーの世界などでよく魔力の源として描かれる『マナ』だと思うようにしました。
フロアで踊る人たちのテンションを自由にコントロールするDJを見て、これこそが現代の魔法使いじゃないかカッコイイ!と思った時から憧れの職業が戦士から魔法使いに変わったことだし、マナをいっぱい浴びてクラスチェンジできるようにがんばります。
ちなみにマナは歩いている時より自転車に乗っている時の方がより浴びられます(なんとなくF-ZEROのダメージ回復エリアを走っているイメージ)。それと、夜ではなく朝か昼くらいに浴びられます。季節と関係があるかは分かりませんが、最近よく浴びます。
まだ魔法は使えませんが、ウソじゃないです。
バウハウス・デッサウ展
- Date
- 2008-05-18 (日)
- Category
- 日記
桑沢デザイン研究所時代、近代デザイン史の授業でそれなりに勉強したつもりになっていたバウハウスの『バウハウス・デッサウ展』を見に上野へ行ってきた。
見ながら思ったのは、(また例によって内容とは関係なく)デザインを学びそれを仕事にしようとする時、もの作りの喜びを知ることと同じくらい過去の歴史にも感心をもてる人間の方が色んな意味で“早い”ということ。
歴史とは共通認識に他ならないのだから当たり前といえばそうなのだけれど。
自分はもともと自動車のデザインに感心があり、プロダクトデザインを学ぼうとデザイン学校に通ったわけだが、どういうわけかグラフィックの世界に足を踏み入れていた。
そのため、グラフィックについての歴史を紐解いて過去の作品に目を向けきれていない部分も少なからずあり、知っていればしなくて済んだ苦労というのも多い。
学生時代は(若い時期にありがちな?)自己の内観を以て表現に変えるということに著しく感心があった。それと充分に向かい合ったからこそ、体系立てて色んなことを勉強していく中で気がつくことも山のようにあると思う。
願わくばその2つの容器が同じくらいの大きさであってほしいものだ。
帰りに寄った「谷中ボッサ」のケーキも「薬膳カレーじねんじょ」のカレーも美味しくて、心と身体に栄養をもらえた週末だった。
感受性について
- Date
- 2008-05-13 (火)
- Category
- 日記
電車の吊革につかまってボリュームを控えめに音を聴くより、楽な体勢になり眼を閉じてそれなりの音量で聴いた方がプリミティブに感動できる。
つまり、邪魔な感覚が多いほど感じ方は鈍くなる。
もし、視覚や聴覚、触覚、味覚など、その人が一度に感じられる量の総和が一定だとしたら、聴覚にだけチューニングした方がより多くを受けとれるということだ。
こう考えたとき、もしかしてゴッホが耳を落とした理由もそうだったのではないだろうかと思った。ただでさえあんなに情熱的に世界を感じていたのだから、チューニングしたらとんでもないことになる。
などと勝手に想像してみたが、調べてみたら全然違う理由だった。
※実際にはゴーギャンに自画像の耳の形がおかしいと言われたためで、切り落としたのも左耳のみだった。
ちなみに、映像と音がマッチした時にも感動があると思うけれど、これはそれぞれがそれぞれを補助しているわけで、何かを見て本当に感動しているとき、耳は何も聞いていないし、音を聞いて感動しているときに眼を開いていても何も見ていないと思う。
そういう意味では、本当に感動できる音は電車の吊革につかまっていても圧倒的に迫ってくるわけで。そんな芸術にいっぱい触れて、感性を磨きたいものだ。
daft punk's ELECTROMA
- Date
- 2008-05-12 (月)
- Category
- 日記
ビジュアルとタイトルに惹かれて観たdaft punkの『ELECTROMA』。
ピカピカのFerrari412が眺められるのはとてもいい。
随所に女性の身体を連想させる風景が登場するが、そこに関してはちょっと狙いすぎという感じがする。もう少しさりげなく盛り込んでほしい。
文化系男子だってクラブに行きたい
- Date
- 2008-05-05 (月)
- Category
- 日記
高校の頃は、美術室にこもっているような典型的な文化系男子だったけど、ぼくらだってたまにはクラブイベントにいきたい(身内のイベントに呼ばれて行くとかじゃなくて…)。
友人のsodapopとそんな話(?)になって、何度か顔を出しているsuperdeluxeへ。
その日のプログラムはエコをテーマにしたイベントで、イメージしていたような空間ではなかったけど、ライブパフォーマンスが豊富で楽しかった。
で、ぼくがテキーラ片手にフワフワしてると、イベントでお皿を回していたDJのシンパチくんとsodapopが仲良くなっていて、3人で雑談。
その流れで、このイベントのあとに銀座で別のイベントがあるんだけど一緒に行く?と誘われ、イベントが終わった後、NHKで音楽のお仕事をしてるというイガイくんと一緒に楽屋裏にまわって機材の片付け。
そしてタクシーで銀座へ。
銀座のクラブはさすがにセレブ度が高くてスゴかった(GBA版真・女神転生のディスコみたいと思って密かにアガった)。
最初はヤバいとこ来ちゃったなと思ったけど、音もめちゃめちゃいいし、ソファーはふかふかだし、ポールダンサーいるし、何よりいる人の目が違う(実際目の色も違ったけど)。刺激的ってこういうこと?
文字通り朝まで踊り明かしてヘトヘトだったけどとても楽しかった。
行った先の銀座でも、アートの展示会とクラブにばっかり通ってるというハンザワくんとも仲良くなれたし、何より新しい友だちが3人も増えたことがとてもうれしかった。
こんな冒険は、セトウくんとたまたま入ったバーのマスターにそそのかされて、新宿2丁目のゲイバーに拉致られて以来久しぶりだった。
非現実の王国で
- Date
- 2008-05-04 (日)
- Category
- 日記
ヘンリー・ダーガーの個人的な制作に対する姿勢にはすごく共感してしまう。
それが何であれ、ずっと居座れる世界をただただ求めて、それがないなら自分で作るしかないと思う気持ちは同じだから。
作品集を夢中で眺めて、あの絵が動いているところも観たくなり渋谷ライズXで映画を観てきた。
DVDが出たら『もののけ姫はこうして生まれた』のようにディスクが軋むまで再生し続けると思う(もののけ姫はこうして生まれたは、VHSが擦り切れるまで再生し、そのあとでDVDが軋むほど再生したわけだけど)。
気分がよかったのでそのまま渋谷から自宅まで歩いて帰った。
今夜の代々木公園はどういうわけかとても神秘的で、Brian EnoのA Secret Lifeが聞こえてきそうなくらい非現実的だった。
一人遊びでGTAIV
- Date
- 2008-05-02 (金)
- Category
- 日記
音楽を聴いていて体がゾクゾクしびれる時がある。
あれって一体何なのでしょう?(だれかしってる?)
今日、あのしびれは一度始まってしまえば少しの間維持できることを発見した。
せっかくなので、そのしびれが一番出やすい音はどれかなと思いiPodに入っている中で探していると、Wipeout pureのサウンドトラックのCross the Line(大音量で)が一番ぞくぞくくることが判明。
YouTubeだと解りづらいけど生音だとパルスっぽいところとかプチプチする感じとかがスゴい。
山手線の中でかなりしびれてしまった。
でもこのしびれが一番くるのって単に曲がいいというだけじゃなくて、ゲーム中でいっぱい聴いていて、たぶん好きなコースのテーマだったとか快感の記憶と結びついてるとかそういうことだと思う。
Wipeoutはスムーズに操作できたときに他のレースものとはくらべものにならないくらい気持ちいいし。
とか考えながらループで聴いていたらWipeoutがやりたくなってしまった。
で、国内版は出てないけど、EU版でWipeout Pulseが出ていたなと思って打ち合わせの帰りに秋葉原に寄りカオス館に向かうと、なんかレジに行列ができてる…。
新作の棚を見ると北米版とアジア版のグランドセフトオート4が。
出てたのか。何かあると困るから(?)一応ゲットした。
日本語訳サイト探さないと。
コミカルな毎日
- Date
- 2008-05-01 (木)
- Category
- 日記
Sigur Rosを聴いていると色んなことを考えます。
アイスランドの茫漠とした風景の中で暮らしている人と比べて、ぼくらの日常はとてもコミカルなんじゃないかなとか。
だって、夜空を見上げるとオーロラがゆらめいていて、都市を少しでも離れたら人と会うことも稀な世界なわけです。
隣の部屋の人に怒られないように音量を絞っているぼくなんかと比べて、毎日が全然シリアスなのだろうと。
そんなことを考えていて、ふと頭をよぎった作品があります。
以前、far beyond 4月のアーティストたちで、ご一緒させていただいた足立涼子さんの作品です。
足立さんはぼくと同じように東京で暮らしているのに、透明感のある尊い作品を作り続けています。
毎日のコミカルな日常のことをもう少し見つめなければいけないのかも。
コミカルなりに。