2008年08月

Entries Title

ともだち

Date
2008-08-29 (金)
Category
日記

1 いつまでも 絶えることなく
  友達でいよう
  明日の日を夢見て
  希望の道を

2 空を飛ぶ 鳥のように
  自由に生きる
  今日の日はさようなら
  またあう日まで

3 信じあう 喜びを
  大切にしよう
  今日の日はさようなら
  またあう日まで

  またあう日まで

『今日の日はさようなら』
作詞作曲:金子 詔一
歌:森山良子

20世紀少年が公開されるので、ともだちともだちとうるさいが、自分がともだちと聞いて思い浮かぶのはこの歌だ。

ballpointpen_eye

Date
2008-08-27 (水)
Category
スケッチ

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未来の人間にヘビーに響かせる方法

Date
2008-08-25 (月)
Category
日記

「霧の火」という日テレのドラマを見た。第二次世界大戦末期、樺太で電話交換手をしていた9人の女の子たちの生き様を通じて、人間の尊厳や精神的な価値を再認識しようというような内容。

物語が人に与える影響というのは言うまでもないことだけど本人の想像力や理解力によって大きく変わってくる。どんなに訴えたいことがそこに込められていたとしても、受動で観ている人にとっては物語そのものが持っているメッセージの半分も伝わっていない。
かといって誰にでも分かるように物語を単純化すると、例えの幅が広がりすぎて、訴えたい内容自体の幅は逆に狭くなってしまう。

では、物語を変えずどのようにすればそれを補えるのか考えてみた。

例えば、物語に出てくるキャラクターたち全てを知人友人親族に置き換えてしまうというのはどうだろう。

「霧の火」だったら、自分をかばって死んでゆくのは友人や両親だ。その画面が語る意味というのは、役者の優れた演技という説得力を軽々と飛び越えて、物語本来の意味で心に響くはずだ。

ひと昔前の人間は、クルマやカメラといったモノに対して思い入れという自己投影をしてきた。でも、いまはこれだけアバターアバターと言っている時代。テレビを眺めてタレントに親近感を覚えるのに使ってきた時間を、存在感を増すネット世界に湯水のごとく費やし、肉体と精神の乖離はどんどん進んでる。
そんな環境で育った人間たちが、いつまで自分と縁もゆかりもない役者やキャラクターに自己投影できるものだろうか、とつい考えてしまう。

顔を3Dモデルや自分のアバターで挿げ替えた役者が氾濫する時代というのは着々と近づいて来ているのだ。

見た目も中身も自分にソックリなAIを作るって夢も本気でアリだな、と言ったらやっぱり笑われてしまうのだろうか。

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6 1.. 2...

Date
2008-08-25 (月)
Category
日記

 1.. 4.. 8... 0... 5 5
  5.. 1.. 2.....* 1... 6 4.. 8... 0... 3....* 9.....
   3 0... 9..... 2... 2.. 8.. 1...

 2... 7 5..... 9.. 9....
  2.... 7... 4... 3 3..... 6.. 2.....
   7.. 7..... 5..... 9... 7.... 9..... 2 5

bonfire_man

Date
2008-08-25 (月)
Category
スケッチ

bonfire_man.jpg

selfportrait

Date
2008-08-20 (水)
Category
スケッチ

selfportrait2.jpg

文字

Date
2008-08-18 (月)
Category
メモ

  
   
  アカナニラカナヤPTJUJU
  ん。さ。しわさぬぬくのれへち
  ねくすくすへふぬにのねおなか
  よみちとね無き大竹健司あきあ
  ぬゆまちややゅやはぬなたきあ
  かあたい
  
  
iPodTouchのメモ機能を使おうとしたら、見覚えのない文字列が保存されていた。
ん?これはなんだ?ちょっとしたホラーになりかけた次の瞬間気がついた。たぶんポケットに入れていたとき、なにかの拍子でロックが解除されてしまったんだろう、と。

そう思って安心したのだが、あらためて見るとやっぱり引っかかる。何故だろう?

知らない人の名前が書いてあるから読もうとしてしまうのか?アカナニラカナヤというのが呪文みたいだからか?PTJUJUと書かれていると、PTとJUJUで分けてしまおうとする。あたい?女の子なのか?くすくす?クスクスは大好きだ。読めそうで読めない、読みたい、読もうとしてしまう。

そんなことを考えていたら、先日ブルーレイディスクで映画版のパトレイバー2を観た時のことを思い出した。
画面内に描かれた文字がハッキリと見えて、なんだか妙なところばかり気になってしまったのだ。
劇場で観られなくてDVDで観た人にとっては、それまで文字情報として認識していなかった部分が、解像度が上がったことで文字として読めるようになり、人の目の動きをガラリと変えてしまう。モノによっては作品の印象が変わってしまうものもあるんじゃないか。
いや、そもそも、もののけ姫なんかは劇場で観た時とDVDで観た時で、タイトルが表示されたときの気持ち良さが違った気がする、敢えて変えているんじゃないかとか。まあこれは全然関係ないことなんだけど。

色々考えていたら、メモしようとしていた内容をすっかり忘れてしまっていた。

『明日死ぬかもしれない人間が大人になる必要なんてあるの?』

Date
2008-08-18 (月)
Category
日記

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大友克洋の作品に「公園」という話があって、その中で、高校生が『知らないよ俺たちが汚したんじゃねーのに』と言う1コマがある。

自分はこのセリフを読んだ時、思わず唸ってしまった。
もしそれが味方側の人間から野次のように発せられた言葉だったら、それを制しながらも心の中では思わず『そうだよな』と思ってしまうような、そんな感じ。

今日、友人の誕生会を兼ねて観に行った「スカイクロラ」の中にも唸ってしまうセリフがあって、押井守はこういう風に表現するんだ、と思った。

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好きな種類の時(間と)空(間)

Date
2008-08-15 (金)
Category
ポートフォリオ

ある本を読んでいたらふと同級生のことを思い出した。

というより、その本のことを彼に知らせなければいけないととても自然に思った。

それで、メールをしてみたらちょうど翌日に休みを取っているというのでびっくりして(彼はとても忙しく休みがほとんどない)久しぶりにゴハンでもということになった。

彼は、デザイン学校の同級生だけど、今はアニメーションの世界の人間で、学生時代の彼のモノ作りに対する姿勢がとても好きだった。
夏休みにデザイン事務所のアルバイトに誘って、一緒にデザインバリエーションとモックアップ作りに明け暮れてみたり、二人で何か物語を作ろうと意気込んで、講義の後に図書室で話し合ったものをお互いが作って持ち寄ったりして、想像の世界で遊んでしまえるような、そんな仲だった。
机を並べるととても楽しい人間というのがこの世にはいるのだ。いるのだが、その机はつながっていない。お互い仕事が忙しく(なおかつお互い人間関係が得意なわけでもないので)疎遠になりがちだったりもする。

その本の内容を簡単に伝えると、ちょうど問題を抱えているところだったのでぜひ読んでみると言ってくれた。よく分からないけど、なんとなくその場が、このために必然として設けられた機会だったのだという空気になった。

彼に会うのは半年ぶりくらいだったので、お互いが新たに学んだことを話したり意見したり楽しい時間だった。
その中で、彼にあの絵でアニメーションを作りたくないのか?と聞かれ、もちろん作りたいよ手伝ってくれるかい?という話になりちょっと盛り上がった。

バックボーンの一致が多い人間と“勝手なモノ作り”の話をすると本当に楽しい。心底そう思う。そして、本当の意味で利害を一切考えない時間と空間の共有、つまり思いを馳せるということとその周辺を一人以上でできてしまうことがどれほど尊いことなのか、あらためて考えた。

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8年前くらいに彼と一緒に作った世界の住人その1「工場長」。

彼は大のメカ好きだったので、メカをいじる役のキャラを作ることは、ボケにツッコミを入れるのと同じようなものだった。ちなみに住人その2は「配達人」その3は「武器商人」で、10人ほどいたキャラ全員メカと関係があった。

物語全体で考える

Date
2008-08-11 (月)
Category
メモ

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ふつう、物語が結末に向かって進むとき、その舞台には最大限の努力をするキャラがピッタリの人数で揃っている。

ところが現実の人生だと、全員がそれぞれのピースを埋めながら、場合によって補うような立ち回り方をしたりもする。

自分は、他のキャラが舞台にやってくるのを待っているキャラであり、別の舞台がキャラを揃えて待ってもいる。同時に、他のキャラと舞台を揃える役回りでもある。

どのキャラもその時々で進路を見極めて、その積み重ねによって自らの物語全体の行く末を最も良い方向に向かわせようと努力している。

小さな舞台の積み重ねが大きな物語全体を包み込んでいる。

という風に、1つの局面だけを見て何か答えを導き出そうと思いがちなその考えを改めた方がよりオトナになれるのかもしれない。

また、多様な新しい舞台に上がることで自キャラにとって最良の物語になるように努力する時間が始まって、ブログの更新速度は衰える

ストIV

Date
2008-08-10 (日)
Category
日記

打ち合わせの帰り道、アミューズメントパークと呼び名の変わったゲームセンターの前を通ると、「ストIV入荷!好評稼動中!」と書かれたPOPが目に入って、思わず店内に足を踏み入れた。

ストIIのスキルは指が覚えていてとりあえずなんとなく遊べてしまう(という人は多いと思う)。

いまの筐体は乱入するか対CPU戦か選べるみたいで、乱入者もなくラストまで進みあっさり1コインクリアしてしまった。

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ゲームセンターによく通っていたのはそこにストII'があったからだった。ゲーメストを読んで戦い方を学んでは部活の帰り道にゲームセンターに寄ってそれを試すのが楽しかった。

飛び込み大パンチ→アッパー→小昇竜や、飛び込み(めくり)大キック→下段中キック→小竜巻→(つながらないけど)小昇竜とか、コンボという概念が生まれた当時はそれらがとてもカッコ良く映って夢中になって遊んだ。
反射神経と指先の器用さに自信があったからイニシアティブが取れて余計面白かった。

ストII'のキャラ選択画面の無精髭が生えたRYUが大のお気に入りで、クラス委員長の特権を乱用して、球技大会の応援旗に勝手にRYUのイラストを描いたこともある(赤いハチマキをしてるのでそれっぽくもあったからだけど)。

SFCでストIIがリリースされてからは自宅で友人や弟を相手に腕を磨き、ゲームセンターに行って知らない猛者を相手に奮闘するのが楽しかった。

SFC版をやり込んでその画面に見慣れてしまうと、アーケード版はアニメーションが贅沢に作ってあるので(竜巻旋風脚の着地とか)その違いがカッコ良く見えた。

当時はオンラインゲームもなかったから、熱気のある空間に思い入れを持ったゲーム好きな人間が集まって真剣に遊ぶというのはあそこくらいしかなかった、と思う。

あの頃は潰す暇も大分に熱かった。自宅までの帰り道、アイスクリームを食べながらそんなことを思い出した。

Date
2008-08-09 (土)
Category
ポートフォリオ

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ズシーン、ズシーン、ブシューッ…。

王様と戦士

Date
2008-08-08 (金)
Category
ポートフォリオ

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無意識で黒いペンを紙の上に走らせ、偶然見えたそのシルエットから何かを連想して、そのシルエットをより連想したものに近づけるために現実味を与えていく。というのも、気に入った方法の一つ。気の向くままにごりごり描けて楽しい。

頭の中と外を往復する記号

Date
2008-08-07 (木)
Category
メモ

昨日おとといと描いたキャラクターを眺めていて、昔大好きだったロボットの消しゴムのことを思い出した。

その消しゴムには様々なバリエーションがあるのだけど、自分はそのバリエーションとは別に、直立不動のものか、ポーズをとっているものか、という2種類に分けていた。

直立不動のものがお気に入りで、ポーズをとっているものはどういうわけか気に入らなかった。

当時そのことについてなんて全く考えたことはなかったのだけど、今になってみると理由はよくわかる。

このキャラクターにも言えることだけれど、それを眺めながら、その周辺や世界観を想像するとき、ポーズというのは邪魔になるのだ。

想像の補助としてキャラクターを眺めるとき、それはあくまでどういった容姿であるかを補うための記号であって、そこに性格や主張を感じさせるものは必要ない。

つまり、当時の自分はそのロボットに勝手なバックグラウンドを背負わせて遊んでいたので、ポーズはひどく邪魔なものだったのだと思う。

ある有名なゲームのグラフィックデザイナーさんは、キャラクターを作る時、まず後ろ姿を描くという。

ここには、キャラクターを設計する過程で、ぼんやりとしたものをまず一度頭の外に出してみて、それを視覚によって再び頭の中に入れることで、キャラクターとその周辺の精度を上げたり膨らませたりしていくという活動があるのではないかと思う(ある程度の設定が既にあるとしてもだ)。

これは、まだ細かい性格付けが成されていないキャラクターに対して、いきなりポーズを付けて描くことがキャラクターの可能性を狭めることだと考えるのと同じだなぁと、ロボットのことと連想して勝手に想像してしまった。

キャラクターを描く、という作業工程ひとつとってみても、人それぞれいろいろな現象を駆使した精神活動が行われているわけで本当に面白い。人間て、なんて不思議なことしてるんだろうね。

女の子

Date
2008-08-06 (水)
Category
ポートフォリオ

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サンプルで描いた女の子。

昨日作ったお爺さんがいたく気に入ってしまって、データを開いては眺めていたw

眺めているうちに、この手法で他のキャラクターも作れるのか気になってきて、気がついたら朝まで夢中で作ってた。

久しぶりに残り時間を気にせず夢中になってものを作った気がする。
この感覚をコンスタントに出せるようにしたい。そしたら人生楽しすぎる。

お爺さん

Date
2008-08-05 (火)
Category
ポートフォリオ

doctor.png
サンプルで描いたお爺さん。

輪郭を使わずグラデーションだけで描いたものは、どういうわけかドローイングより愛着が湧く。
模型を作ってるような感覚に近いからかな(フルスクラッチビルド!)。

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